12月が、あっという間に訪れました。
新しい年を迎える準備の月であり、同時に一年をそっと締めくくる月。
私にとっては、命への感謝、愛と希望や豊かさ、そして出逢いの数々
この尊いいのちを預けてくれた母の誕生月であり、深く感謝に包まれる月です。
ある日、母の苦労をたくさん見ていた私が母との会話のなかで言った事があります。
「お母さん版【おしんパート2】の小説を書いてあげるね!」
と語り合った事をおもいだしました。
大変な苦労をした母。
そんな私の母の事お話させてください。
母は、父(夫)の両親、弟、妹と8人家族の中に嫁ぎ、その後、
私達兄弟4人で合計12人の家事仕事。
お掃除、洗濯、食事の支度、お弁当作りなど、やって当たりまえ。
感謝の言葉もないなか、子供たちの成長を楽しみにいられた事が支えだったと思います。
たくさんの違和感の中で、常に自分を犠牲にし、周りの人のためや私たちのために眠る時間も惜しみ働きづめの毎日。
母の忍耐との闘いの原因は、たくさんあった。
・姑、小姑の我儘、少し意地悪な対応、乱暴な言葉使い。
・唯一頼りたい夫は、自身で立ち上げた建設会社のお仕事で帰宅も遅く、
母への対応も親や兄弟の手前、優しさなど全くない。
・土いじりなどしたことないお嬢様育ちの母が、慣れない畑仕etc.
・母の言うことを聞かない私たち子供。
小さな身体で、可愛い手で、私たちを守ってくれた。
可愛らしい手の中に抱え込めない程のストレスがあったのは、言うまでもない。
今、思うよ。
すごく。
お母さん、貴女は小さな身体とは正反対の『器の大きな愛の人』だったと。
心身ともに凄く大変な中、私たち子供4人を、東京の大学まで卒業させてくれた。
(勿論、父による経済力のお陰もあり。)
そんな中、妹が腎臓病を患い、闘病生活を支え、食事療法や心のケア
たくさんの学びをしながら、妹を支え助けた。
妹の担当医から
『社会への適応難しいでしよう』と言われたにも関わらず、劇的回復させてくれた母。
妹を立派に聖路加国際病院に勤務させてくれ、結婚、出産と恵まれた。
東京に二軒目のお家を持つスーパーママに育てあげてくれたね。
そして、私に関しても、母の愛は天才と今思う。
嫁ぎ先の義母への違和感があり、私が若い頃、実家に帰省した時のことです。
母に、義母への不満や文句を聞かせる私。
母はおとなしく静かに聞いてくれた後に、神さまの様な言葉を言いました。
「文子ね、お前が嫁いだ先の親がお前の本当の親になるんだよ、だから、ちゃんと
お母さんを大事にしなさい」と私に穏やかに、でもどこか寂しげに諭す母。
この時の私の気持ちは、『私にとってのお母さんは、あなたしかいないよ』と、
心の中で半分ちょっと寂しい気持ちで受け取ったことを思い出す。
今思えば、母は自分の寂しさにも堪え、本当の私の幸せを願った愛の言葉だったことをしみじみと感じる。
私自身ずっと違和感だった、この義母との関係。
今の義母は、誰より大好きだった息子(主人)のことは、忘れてしまったようだけれども、私の事はちゃんと名前も呼んでくれ、そして「私の娘だ」とまで言ってくれる。
施設に会いに行くと両手で私に手を差し出し喜びを表してくれる。
今まで、違和感を抱いた私を許してください。
今は義母に感謝でいっぱい。
義母が可愛くて仕方ない。
まだまだ元気で長生きしてほしい。
私の母の分まで、、
いやいや、お母さんあなたが私のお母さんですよ!
スミ江(私の母)が言った通りです。本当にありがとうございます。
そして天国で私に本当の愛を教えてくれた
この幸せを体験させてくれたお母さん、
いつもそばで色々なことを教えてくれたお母さん
本当にありがとう。
あの時の貴女の魂の愛の言葉を感じない日はないです。
母が生まれてくれたこの月は愛いっぱいの月。
そして感謝しても仕切れない月。
晩年、母は川柳教室や、すみ絵教室に通い、結構、入選作の作者になっていたようだ。
そして、父と海外、国内、あちらこちらと、旅行に出かけたりしていられたから、
とても幸せな時を過ごせていたと信じていますよ。
そして、
義母(今は、本当の母)と同じ天才です。
だってね、私をあの奇跡の11月22日(私の夫と同じ誕生日)に生んでくれたんですもの。
同じ誕生日(いい夫婦の日)に産んでくれて出逢わせてくれた【2人の母の愛】奇跡の出逢い‼
この幸せを感じられる私の感謝は、はかり知れない。
深き感謝、ありがとうを何度もなんども伝える月。
12月。